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フジムケコーヒーという生き方(その3)


ちわっす。

お店をスタートさせて1ヶ月が経過しました。

たくさんの人に支えられて創り、たくさんの人に支えられて回っています。

まあここがゴールではないので、新しいことを始めますけど(笑)

いろんな人が来てくれていて、感想もたくさんいただいています。

また改めて出していきたいですが、まとめる時間がないので、SNSにちらほら上がっているのを見てください(笑) そのうちまとめます。

ざっくり言っておきます。

■うちはブラックコーヒーとバターコーヒー(完全無欠コーヒー)の専門店です。甘味料は置いてますが、ミルクはありません(裏メニューなので頼めば出ますww)。

■豆は当日焼いています。いわゆるスペシャリティコーヒーという管理された豆を使っています。農園まで指定されているものを使うこともあります。

■うちは《珈琲》というより《Coffee》という感じ。

前者は深めに焙煎をして濃いめに出します。どっしりと味わい深い喫茶店のイメージですね。うちのは中深くらいで焼いたのを薄めに出しています。お茶、という表現をよく聞きます。※実際にはどちらも日本人の勤勉さが産んだものだと思いますが…(笑)

■苦手な人でも飲めることが多いです。むしろ苦手な人ほど飲んでもらいたいです。まあでもココアは始める予定です(笑)

■バターコーヒーは絶品です。他でも飲めますが、レシピが違います。正規のレシピで出しているのはたぶんうちくらいです。申し訳ないが、ほかの店のは薄い!!

これは慣れてる人も感激するし、初めての人は初体験を喜んだり戸惑ったりしています。気づいたらハマっている人も。

めちゃくちゃよくしゃべります。

まあこんな感じか(笑)?

元々のテーマでもあった、変わらないために、変わり続けるコーヒー屋としてはとてつもなくいいスタートを切れました。これをどう続けていくか?というのが課題です。

明日には《珈琲》を出しているかもしれませんからね。

さてここで、よく何者ですか?と聞かれるので、改めてざっくり自己紹介をしておきますね。

ざっくり言っておきます。良いところだけ恣意的に切り出しますWWW

■母曰く2歳くらいの頃から喋り始め、口癖は《なんで?》だったそうな(笑)

■その通りであって、いつも《なんでなんだろう?》という思考が脳を占めている子供でした。

■友達を作るのがとても下手でした。他人に興味が無いから。一人で遊んでいて、声をかけられるタイプ。

■とにかく《なんでかよくわからないもの》には取り組めませんでした。代表は《学校の宿題》でした。いつもテストで点数が高かったので(授業聞いてりゃ誰でもとれるだろと思ってました)、宿題の提出が意味不明でしたし、聞いてもまともに答えてくれる人はいなかったのです。

■この性根は変わることがなく、社会人時代は苦労しました。自社の提出物を出さないからです。特に《なんでかよくわからないもの》はたくさんあって、それは断固出さなかったので、死ぬほど怒られてましたWWW 実益のない作業など1秒もやりたくないWW

■中学時代には音楽に興味があって、そういう学校に行きたかったけれど、高校に行けと説得されたので軽音部のある高校にいき、バンドをやってました。ここから8年くらいがっつりやってました。

■大学に行け!と言われて、まあ行ってみるか~と思い、そのころ最も興味があった《ヒトのココロ》を勉強するために心理学科に行きました。ヒトのココロが読めればもっとおもろいんじゃないか?と思ってたのです。進んだ大学が臨床心理だったので、ここでは何もわからないじゃないか、とすぐに辞めました(笑)

■そこからはペパーランド大学(岡山のライブハウスですが、僕にはあそこは大学の位置づけです)であらゆることを学びました。人生で一番学んだのはここでの日々でしょうね。

■父親が会社をやっているので、物心ついたときから経営者になるものだと信じてました。父親の会社にいたときに意識していたことはただ一つ。

《従業員の家族の命を支えているのはこのわたしなのだ》という責任感。彼らの給与が彼らの食費になるので、僕の仕事一つで彼らの命は文字通り支えられていたのです。

■が、鉄工所だったんですよね。僕は鉄が全然好きではありませんでした。なので、辞めました。そこから《わたし雇われる人の気持ち全然知らない》と思い、雇われてみました。

■鉄が好きじゃないなら、好きなことを仕事にしよう、という気持ちでしたが、何が好きかよくわかりませんでした。なので、当時見た《川村元気氏》のインタビューにあった「自分が今一番お金を使ってるものが好きなものだよ」という言葉をみて、なるほどと思い家計簿を引っ張り出したら映画でした(食い物は外してたWW たぶん食い物やな)。

■1年くらい地元の映画館でアルバイトをしたところ、「ああこりゃ社員にならんとやりたいこと出来ねえ」って感じたので、東京に出てきました。新宿の超巨大シネコンが社員を募集していたから。サクッと受かったので来ました。ラッキー!!

■ここから5年ほど映画館で働いてました。とにかく刺激的な日々で、いろんな出会いがあって、いろんな経験が出来ました。なんせ週末には1万人を超えるお客様が来ますから。年間で120万人強。ざくっといっても5年で600万人に何かを届けていたわけです。関わったアルバイトの子たちはたぶん300人以上います。

そんで何気に副支配人でした(笑) カフェのリニューアル事業が最もやりがいがあったな。また、そこで出会った上司が、ものすごい人で、今も大尊敬してます。たぶん、全然伝わっていないWWW(感謝下手だよトホホ)

■いろいろあって、辞めました。まあ色々あったんだよ。映画が好きで、映画が嫌いで、そんな自分が嫌いだったのかな。分かりません。基本、自分大好きやからWW

■そこからしばらく《油を売ってました》文字通り、ほんとに売ってたよ(笑)

■なにやってるの?と聞かれることが増えたときに、これまたいい出会いがあったので、コーヒー屋になりました。よくいつからコーヒー屋になろうと思ったの?と聞かれます。その答えは、《なったときに思った》です。

■いまの夢はコーヒー屋を通じて、誰かのやりたいことを応援することです。それが一番気持ちいいです。ドーパミンドバドバ出ます。僕は生来、報酬系(A10神経)が人より貪欲なようで、満足感や達成感を全然得られません。よく依存症になりますWWW

ですが、誰かがやりたいことを達成しているところを見ると、それはそれは良い感じのドーパミンが出ます。僕のやりたいことは、《誰かのやりたいことをやらせること》だったのかもしれません。興奮します。

■あ、色々やってますが、今は摂食障害に一番興味あります。

■そろそろバズりたいですWW

と、こんな感じです。全然ざっくりじゃねえWWWWW

そんなこんなで、まだまだ続くフジムケコーヒー物語を、みなさん死ぬほど愛してください。恋は盲目、愛は欲望。やりたいことやって、爆裂してこうぜ。

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